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| 山灯り記念フォーラム |
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9月27日(土)午後1時から、県橿原文化会館において「吉野 山灯り10周年記念フォーラム」が開催されました。これは、平成10年の台風7号被害を機に始められた「吉野 山灯り事業」、特に山灯り塾・コンテスト展の開催が10回終了したことを記念として行われました。当初山灯りは地場産業の灯りを消さないように、もっと町にあかりが灯るようにとの思いで始められた事業でした。しかし、その間にも地場産業である木材産業の取り巻く環境は悪化の一途を辿り、今回は地場産業の中でも製材業をメインターゲットとして、テーマを「木の住まいと吉野の森」と題して行いました。
吉野の材木における歴史は古く、室町時代に成立した「三十二番職人歌会」には、「材木売」の歌として「吉野産の材木は、吉野の桜の評判に負けずに、自慢の木だから価格も高い」と詠われており、中世後期には、吉野産の材木はすでに商品化されていました。
そして戦後や昭和30年代に入ってからの高度経済成長がもたらす住宅ブームで、吉野の経済は木材産業の恩恵により活況を呈します。しかし、高度成長が終焉すると同時に、和風住宅がほとんどであった市場に、洋風住宅・工業化住宅が参入し新たなトレンドになります。売り先も大工・材木商にとって代わって、住宅メーカーや大型工務店の割合が大きくなってきました。
そんな中で、吉野で生産される製材品の売上や生産量の減少。そしてその減少に伴って、原木市場が扱われる原木の数量や売上も低下しています。そこで基調講演・フォーラムを開催する前に、木材業界の厳しい状況を会場の参加者にも共有してもらう為にも、この20年間の数字を見ていただきました。 |
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20年間に製材の平均単価が58に、出荷量が51に、売上は30までに落ち込みました。その間平成11年には、住宅の品確法が制定されたことも影響していますが、原木の落ち込みの方が、更に厳しいものがあります。吉野の産業は原木から製材業に、そして製材された端材が割箸の材料にと、全て補完関係にあり、それぞれの利益が再び植林という循環を生んできました。この循環の中心が製材業です。一方住宅着工数を見てみると、昭和61年を100とすると平成19年は78ポイントに落ち込みましたが、その間木造比率はほとんど変化しておりません。今でも100軒の内48軒までが木造住宅です。
これらのデータを頭に入れて、基調講演・フォーラムが開始されました。 |
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| ■基調講演 プロダクトデザイナー/千田要宗氏 |
| 千田先生は、10数年前初めて訪れた吉野山の景色に驚きを覚え、その後数多く訪れるようになります。そして平成7年の阪神大震災の年、念願の工房「夢幻楼」を吉野山に建設し、吉野初のモノづくりの拠点としました。吉野の山の景色は信州の山々のように大自然ともなく、里山の風景でもありません。スギやヒノキが等間隔に植えられた景色が実に美しく、それを維持するには人間の生業が必要。この綺麗な景色を守るためにも、新たな生業(産業)を興すために、山灯りの必要性を訴えられました。ここの景色から発想された様々なプロダクツを映像で紹介しました。吉野のコンセプトとして京都の雅(みやび)に対して吉野は、俚(さとび)であり、自然材と人間の知恵をうまく組み合わせることが大切と締めくくりました。 |
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| ■フォーラム |
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フォーラムに参加された方は以下の通りです。
栗本修滋(葛、同設計企画代表)
自然との共生や森林生態など自然環境に関する分野の専門家。
近畿の寺社仏閣の改修のいくつかをカバーするだけでも、吉野は大きなビジネス
チャンスがあると訴えた。
阪口浩司(阪口製材所代表)
自然乾燥材の吉野材を使った家ごと販売するシステムを確立したユニークな製材所。
吉野の製材所はお客様の声に耳を傾けてこなかった。これが吉野の遅れた最大
の理由である。エンドユーザーのことを考えて仕事をしないと残れない。
福井綱吉(潟Pイ・ジェイ・ワークス代表)
国産材を使い、今の生活に生きる木造在来住宅の設計・施工者。
家具から木造住宅を扱う工務企画を行い、出身地である東濃桧・九州の小国杉の
他山地材を上手く利用した家作りを行い、吉野山のやっこの改修も携わり、木造で
あっても現代に生きる作り方が必要と訴えた。
坂本良平(吉野中央森林組合専務理事)
吉野の森林の現状を熟知 森林インストラクターでもある。
先人が作り上げてきた吉野林業が大いなる危機にあることを訴えました。
最後に千田先生は吉野の業界はchange(変えること)と、いいものを伝えることの重要性があると訴えフォーラムを終了した。 |
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